、私が日々接している学生諸君について言えば、彼らの多くは決して学業をおろそかにしているわけではない。彼らはそれなりに勉強し、高い学力を持っていることは間違いない。
こう書くといささか矛盾めくように聞こえるかもしれないが、大方の学生にとっては学問を楽しむ心の余裕を持つ以前に、まずは目先の目標を順にかたづけなければならないという“強迫観念”を先行するのであろう。具体的にいえば、単位の取得、進学、就職など実利的な目標の達成が、焦眉の急なのである。それはそれで仕方ないのであろうが、こせこせせず、もう少し精神の豊かさをもって学問を見つめ直し、大学生活を送ってもらいたいと、つい注文をつけたくなる。
問1 「こうしたメッセージ」とあるが、どんなメッセージか。
1 大学に入ったのだから、学問上のおもしろさを知ってほしい。
2 大学に入ったのだから、学問とは別の楽しみも見つけてほしい。
3 大学での卒業をおろそかにしないで、高い学力を身につけてほしい。
4 大学卒業のために必要な単位をとり、自分の希望をかなえてほしい。
問2 の中に入るものはどれか。
1 それゆえ 2 だからこそ 3 それどころか 4 かといって
問3 「それはそれで仕方ない」とあるが、何が仕方がないのか。
1 学生に伝えたい自分の思いが十分伝わらないこと
2 サークル活動やスポーツを楽しみの対象とすること
3 目先の目標をかたづけなければならないとあせること
4 一つでも多く、知的感動を味わい、学問を楽しもうと思うこと
問4 筆者によれば、現在のほとんどの学生の目標は何か。
1 精神の豊かさをもって学問を見つめなおすこと
2 いい成績を取って、進学あるいは就職を果たすこと
3 サークル活動やスポーツなどにより学問と距離を置くこと
4 自分のメッセージを、他の人に十分伝わるようにすること
(3)世界の諸民族のあいさつを調べてみると、(中略)握手に代表されるような相互的なあいさつはきわめてめずらしいことがよく分かる。それはたいていの社会で、身分や地位や役割がはっきり定めっているからにほかならない。また、毎日の軽いあいさつがおこなわれる社会が少ないというのは、それらの社会では人びとはもっぱら家族や親族や部族など所属する社会集団の成員として生きていて、個人としての役割があまりみとめられていないことと関係している。そうした集団内では、物のやり取りなどの際にも、ふつうあいさつはいらないのである。たとえばインドでは家族や友人のあいだではふつう感謝の表現はおこなわれない。かえってタブー視されるのだが、家族の食卓で塩を手渡してもらっても「ありがとう」という欧米流は、家族が一体になって暮らす社会では、むしろ“他人行儀”なことなのだろう。
日本人もいつのまにか家族のなかで「ありがとう」をくりかえすようになった。しかも、それは文句なしによい習慣とかんがえられているようだ。それは家族が身を寄せ合うようにして生きていた暮らしがすっかり過去のものになり、人間関係が様変わりしたことを如実に物語っている。
問1 「相互的なあいさつはきわめてめずらしい」とあるが、なぜか。
1 多くの社会では、人々の身分や役割がきまっているから
2 身分や地位に関係なく、握手が代表的なあいさつだから
3 毎日の軽いあいさつがおこなわれるのが、あたりまえだから
4 世界の諸民族では、身分や役割がまだはっきり定まっていないから
問2 インドについての説明として正しいものはどれか。
1 個人としての役割がみとめられているので、ふつう家族に「ありがとう」と言わない。