(1)読書とは、本を買うことである。買ってしまえばこっちのもの、いつか必ずページを開く。買って積んでおくだけの、俗にいう「ツン読」も読書のうちなのである。
この場合の「買う」とは、書店で手にして、ちらとでもこころが動いたら、即座にその場で買ってしまうことを指す。
もうちょっと考えて、とか、明日でもいいや、とか、帰りに駅前もあの店で買えばいいか、なんぞと考えた瞬間、その本との縁は切れたと知るべし。(中略)
その場で即座に買えないのは、一つには失敗を恐れるからだろう。せっかく買っても、読んでみてつまらなかったらどうしよう、と考えてしまう。しかし、失敗も読書のうち。読んで、つまらない、と感じるのは読んでからなのである。「つまらない」と思っても、それを「失敗」と考えてはいけない。「つまらない」と判断できたことをむしろ誇るべきなのである。つまらない本をつまらないと感じられる人は、面白い本を面白いと感じられる人。失敗を心配するよりも、本質的につまらなく、くだらない本を、面白いと感じられるかも知れないことのほうを心配すべきなのだ。
せっかく買ったんだからと、つまらないのを我慢して読み続ける必要はない。自分の判断を信じて、すぐに放り出せばいい。
もちろん、数多い本の中には、すぐには面白さの伝わりにくいものもある。はじめはとっつきにくくても、読み進んでゆくにつれて面白さがにじみ出てくる本がある。いったんは放り出したのに、何かのひょうしにもう一度手にしたとき、実に面白く読める、そういう類の本もたくさんある。
何度も読んで、そのたびに新しい面白さを発見する本もある。たとえば漱石の『我輩は猫である』は、小学校三年生の時以来、何度手にしたことか。二十歳にはそのときの、還暦には還暦の楽しみ方がある。
問1 筆者が「読書とは、本を買うことである」でいう「買うこと」とはどのようなことか。
1 時間をかけて、よく考えてから買うこと
2 少しでも興味を持ったら、すぐに買うこと
3 書店で手にとって失敗しないように買うこと
4 よく知っている店で、店員に相談して買うこと
問2 「失敗も読書のうち」 とあるが、なぜか。
1 いろいろな本を読むことで、本の価値が判断できるようになるから
2 本を買っても失敗したと思っても、買ってしまった本は最後まで読むから
3 失敗だと分かっていても、読書することによって知識の量がふえるから
4 いろいろな本を読むことで、くだらない本でも面白く感じるようになるから
問3 「そういう類の本」とはどんな本か。
1 面白さを発見するために読む本
2 何度読んでも、面白さを発見する本
3 第一印象とは違う面白さを持つ本
4 面白くなくても読み続けなければならない本
問4 この文章のまとめとして最も適当なものはどれか。
1 つまらない本を読み続けても、面白くなるとはかぎらない。
2 買った本を何度も読めば、その価値が分かるようになるはずだ。
3 読書の面白さを知るためには、まず本を買って身近に置くことだ。
4 本の面白さは年齢によって変わるので、小学生からの読書が大切だ。
(2)大学の講義やゼミセールの場を通し、折にふれ、私は学生諸君に向かって、「せっかく大学に入ったのだから、一つでも多く知的感動を味わい、学問を楽しんでほしい」と語りかけている。
しかし、現状を見ていると―――もとより私の力不足もあろうが―――残念ながら、こうしたメッセージが若い諸君の心に十分、伝わっているとはいい難い。彼らのほとんどにとって楽しみの対象といえば、サークル活動やスポーツ、音楽、映画、漫画、あるいはさまざまなレジャーであり、それらはいずれも学問とは距離を置いたところにあるからである。